自己紹介

私は自分と同じ発達障害の人々の行く末を調べまくった結果、
大きく分けて二つの道があるということを見つけました。

一つは、普通の人に合わせる努力をし、他人の何十倍もの努力をして平均以下の人生を送るという道。

もう一つは、普通の人に合わせるのを諦め、他人がするような努力のやりかたを捨て去り、
自分に合った努力のやりかたでひたすら尖った人生を送るという道。

私は、後者の道を選びました。

あなたは、どちらを選びますか。

 

・・・

 

はじめまして!

明神(みょうじん)と申します。

当サイトへお越しいただきありがとうございます。

現在、私は、
「発達障害者は普通の人と同じやり方を押し付けて矯正するだけでは、社会貢献も自己実現も不可能である」
という理念のもと、

「では、発達障害の人がより自由に、負担なく、幸福な人生を送るためにはどんな生き方(稼ぎ方、考え方)が可能なのか?」
というのを日々研究し、発信しています。

私自身も発達障害であり、「発達障害あるある」な経験や嫌な思いは、人一倍してきました。

もちろん人のせいにはせず、周りに合わせようとして努力はしました。

しかし、このあと述べていきますが、いろいろ経験する中で、最終的にこう思ったのです。

「発達障害の人にとって、“周りに合わせて生きる”というのは自傷行為に等しい。
「矯正」とは違ったアプローチから人生を変えていかないとダメだ。」
と。

そして、同時に僕と同じように何かしら「困難」や「生きづらさ」を抱えている方に、
ちょっと「違った」アプローチから人生を良くしていく方法をお伝えしていけたらと思います。

さて、自己紹介に入りますが、

  • 私が幼少期から感じていた「ある違和感」と「その正体」を知るまで
  • 雰囲気の良い会社でもつまづいた人間関係と、お客さん先での理不尽な体験
  • 発達障害の自分がたどりついた境地とネットビジネス

について語っていきたいと思います。

発達障害の方や、周りになかなか言えない悩みや生きづらさを抱えている人、
そういった方の参考になれば幸いです。

幼少期から感じていた「ある違和感」

私が発達障害と気づいたのは、結構よくあるケースなのですが、大人になってからです。

真っ先に気付くべき家族や周囲の大人がまず気付かないというのが本当に多いんですね。

 

私は幼少期から、とても繊細で泣き虫な子供でした。

保育園の時から、運動会など大勢の人が集まるところが苦手で泣きじゃくる子供でした。

保育士さんからは「こんなに泣く子を年少組から通わせなくてもいいのに」
といわれていたほどです。

特に、体育の時間は苦手でした。
運動が苦手というのもありますが、大声や笛の音、ボールの跳ねる音、下手な人への罵声などが嫌で嫌でたまりませんでした。
(これは発達障害者に多く見られる典型的な感覚過敏ですね。)

また、コミュニケーションにも問題がありました。
周りが楽しそうに話をしていたので、会話に入っていったら、
「おまえ、少年ジャンプ読んでないのに知ったかぶりするな。話したいならジャンプ買え」
といわれたのです。

なんで興味もない漫画を買わなくちゃいけないんだと思っていました。
(話を合わせるために何かを買うというような人間関係における暗黙の了解を知らなかったのですね。)

自分が変わり者といわれているのは分かっていたし、自分でもそう思っていました。
ほかの人と何かが違うと感じてはいました。

一人が好きで、家ではネット将棋や読書をしており、
放課後に友達と一緒に遊ぶといったことも全くありませんでした。

でも、話が合わないのは周囲が馬鹿だからだ。
頭のいい人が集まる高校に行けば、自分と話が合う人もいるはず。
そう思って違和感から目をそらしていました。

勉強は好きで、学年で常に一番を取っていたのです。
その甲斐もあり、高校は進学校に進むことができました。

しかし、そこでカルチャーショックを受けることになります。

みんな勉強やスポーツができることは当たり前で、集団でのふるまい方、
大人や友達との接し方など、あらゆることを軽々とこなしているようにみえるのです。

私のように一つのことで精一杯という風ではありませんでした。

そして悟ってしまったのです。
「ああ、社会に出て上にあがっていくのはこういう人たちなんだろうな」と。
自分のようなガリ勉で大人しい人間はこの先苦しむことになるかもしれない。

中学時代は周りの人を馬鹿にして、自分の中の違和感から目をそらしていました。

しかし、高校で自分よりも頭の良い人が人付き合いもうまくこなしていることを目の当たりにし、
「普通の人が当然に持っているある種の能力」
が自分に欠如していることを自覚させられたのです。

また、親や教師たちも、
「勉強ができるだけじゃ、社会でやっていけないからな」
ということをいっていました。

当時の私は、その言葉を真面目に受け取り、自分を変えようとして努力しました。

学校へ通う道が同じクラスメイトに話しかけにいったり、
学校行事に興味があるふりをして、楽しんでいるようにみせたり。

しかし、自分の発言はスルーされて会話に加われず、
2人が話している後ろをただついていくだけとなってしまったり、
学校行事でも的を外した発言で「ん?」という顔をされたりしました。

さらにその頃、家庭でもいろいろあり、精神的に不安定になり、
唯一のとりえだった勉強でもつまづき始めました。

そして、大学受験を直前に迎えた校内テストでは、
試験中に過去の嫌な体験や恥ずかしい体験がフラッシュバックして
うわあと叫びたくなる症状に悩まされました。

今冷静に考えると、冷静に勉強できるような精神状態ではありませんでしたね。

そして、センター試験では国立大学は到底無理な点数を取り、浪人をすることになってしまいました。

このように僕は、今思えば「発達障害の兆候」どころか「アラート鳴りっぱなし」の状態であったにもかかわらず、それに目を向けないないまま少年時代を送ってきたのでした・・・。

 

最初にも言いましたが、発達障害に気づかないまま大人になるケースってものすごく多いんです。

なぜなら、少年時代であれば「ちょっと変わった子」で済まされることが多く、
それが深刻な社会的ダメージになることも少ないからです。

しかし、大人になっていくにつれ、そういうのがだんだん誤魔化せなくなっていき、
発達障害が発覚するケースが多いのです・・・。

「違和感」の正体を知る

浪人時代は、私の生き方についての気づきを得るきっかけとなった時期です。

思っていたほど辛い日々ではありませんでした。
ある意味、勉強さえしていれば良い時期だったからです。

学校行事など、勉強以外のことでエネルギーを奪われることがなく、精神的な負担が少なかったのです。

「静かな自信をもって集中している」という感覚を取り戻し、成績も上がっていきました。

そしてさらに、今まで抱えてきた「違和感の正体」が判明します。

ある日ネットサーフィンをしていて目に入ったのが、
「アスペルガー症候群」という病名でした。

  • 知的障害を伴わない自閉症で、知能が高く学業成績が良い人もいるが社会に出てコミュニケーションでつまづく。
  • 空気が読めず会話の文脈を読まずに入っていって、周囲から怪訝な顔をされる。
  • 記憶力が良く過去のことまで覚えており、嫌な記憶がフラッシュバックする。

これはまさに自分のことではないかと衝撃を受け、
勉強の合間にアスペルガー症候群などの発達障害について調べまくりました。

自分が長い間苦しんできた「違和感」の正体、
そして、今後どう自分と向き合うべきなのか、その答えがあると思ったからです。

発達障害を調べるうちに、ある疑問が湧いてきました。

それは、「発達障害」である人は、どうすれば成功できるのか(より幸福に生きられるのか)?ということでした。

発達障害の人の中には、仕事についていけなかったり、対人関係でつまずいたりして、
障碍者雇用として、採用されるケースがあります。

最近では、発達障害への認知度が高まってきたため、
当事者を積極的に採用し、その強みを生かそうとする企業も増えてきました。

しかし、現実のところ、障害者雇用枠は非正規雇用が多く、簡単な作業を任され、
給与も低い、出世もしないという現状もあります。

たとえ発達障害の傾向を持っているとしても、今現在困っていない自分が、
最初から道を狭めて就職するということに違和感を持ちました。

それに、自分自身、人と同じようにできないという感覚を持ちながらも、
周囲に適応できるように頑張ってきたという自負もありました。

今後の人生で困難が出てきても、自分の力で解決しようという気持ちもありましたし、
解決できると思っていました。

そんな私は、発達障害の診断、治療を受けて手帳を取得することに特にメリットを感じなかったのです。

つまり、私は自分が発達障害ではないかという事実を胸にしまったうえで、
自分の特性と向き合って生きる道を選ぶのが最良だと判断したのでした。

最初に考えたのは、「向いている職業」はなんなのかということでした。

発達障害は、決して不利なことばかりではありません。
むしろ、ある分野で尖ることで成功する傾向があると分かりました。

発達障害の偉人には、エジソン、アインシュタインがおり、
現代人では、ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ がいます。
あと、私の好きな作家さんの市川拓司さんも発達障害を公表しています。

向いている職業にプログラマーが挙げられており、
私もプログラミングには興味を持っていたので、
プログラミングを学べる学部に進みたいと思いました。

そして、希望していた国立大学に合格することができました。

大学時代は本をたくさん読もうと決めていたので、
ミステリ小説やエンタメ小説をむさぼるように読みました。

そこで、人間の感情の機微や解釈の仕方を学びました。

中高時代は空気を読まない発言をして、周りから変な顔をされていましたが、
自分のどこが悪かったのかを教えてくれる人はいませんでした。
しかし、本には言葉で書いてあるので理解できるのです。

また、メンタルヘルスの本も読み、発達障害や人格障害についての知識も深めました。

IT業界には発達障害の特性を持つ人も多いと知り、
そのような環境であれば、私でもなんとかやっていけるのではないかと思いました。

そしてめでたくシステムエンジニアとして、IT企業に内定が決まりました。

ここまでの経験で、幼少期からの自分の中の違和感を解消し、
自分の力で道を切り開いていけるような気になっていたのですが・・・。

雰囲気の良い会社でもつまづいた人間関係

私が就職した会社は雰囲気は良かったです。

上司も本音と建て前を分かっている人たちばかりで、
過剰な価値観で洗脳しようとしてくるような空気はありませんでした。

私は強い価値観をぶつけられると、それに過剰に縛られてしまう特性もあるので、
その点はホッとしていました。

これで安泰だと思っていた私。

しかし、発達障害の自分に突き付けられた現実は、甘くはなかったのです。

仕事を早く覚えたかった私は、周囲に馴染むという視点がおろそかになっていました。
わかりやすく言えば、先輩に好かれるためのコミュニケーションをとろうという意識が希薄でした。

例えば、ミーティングで私が作業の進め方について確認したいことがあって焦っており、
いろいろ質問したいのに、先輩達が関係のない冗談をいってアハハと笑っているので、
パニックになって、早く教えてくださいと言ってしまい、空気を悪くしたこともあります。

そんな私を良く思わない人もいたのでしょう。

私の書いた設計書に対して、間違っている!と鬼の首を取ったように怒り始め、
結局私が正しかったのに、謝らずに他の女性社員と雑談を始めるような女性の先輩もいました。

そもそも八つ当たりが目的だったのかもしれません。

また、明らかに仕事に対してやる気がない男性の先輩もいました。

そのプロジェクトのメンバーなら誰でも気づけるような設計書のミスに気づかず、
「○○君の作った設計書にこう書いてあったからその通りにプログラムを組みました」
と私のせいにされたこともあります。(しかも、実際私が書いた設計書ではなかった)

その方は一時間に一回、ふわーと席を立って休憩しに行くような人でした。

もちろん八つ当たりされたり、自分が悪くないことを自分のせいにされたりした経験は誰にでもあるものでしょう。それは分かっています。

しかし、私はこうした一つ一つのことにも過敏に反応し、
傷ついて精神的に疲れてしまうのでした。

そして、仕事をさぼり雑談をしてワハハと笑っている人を見ると、
怒りや失望で、もやもやして自分の仕事に集中できず、
パフォーマンスが半分以下になってしまうのです。

家族や上司に相談しても、
・普段からコミュニケーションをとらないからそうなるんだ。
・何を考えているか分からないから先輩も付き合いにくいんだ。
・声が小さいからなめられるんだ。
・学生時代に多くの人と付き合う経験をしてこなかったのが悪いんだ。
といったことを言われてしまいます。

私も努力はしましたよ。
自分も雑談にも加わるとか、先輩を立てるような言い方でお願いするとか。

でも、肝心なところで空気を読みそこなってしまったり、失敗することの方が多かったです。
普通の人であれば苦労なくできることを、自分は散々本を読んだり、心理学を学んだり、
人と話す努力をしたりしても、普通の人以下のことしかできなかったのです。

悲しいですが、これが発達障害の現実なのです・・・。

何より、普段から精神と思考を「なんとか普通の人に合わせる」
ことでフル稼働させてしまっていることから、
「普通の人間関係」に労力を使うだけでへとへとになり、
肝心の仕事に回すメモリが不足しているという有様でした。

それでも頑張り続け、上司や後輩から頼られるようになりました。

そのときはもう、社会人5年目。

今になって思えば、我ながら本当によくここまで頑張ったなと思います。

ところが・・・

ここまで努力してもなお、現実は非情でした。

あくまで自分は「発達障害」であり、努力しても報われず、
いつまでも不利なのだと思い知らされる経験をしました。

お客さん先での理不尽な体験

社会人5年目に配属されたプロジェクトでの話です。

社内で受託開発したシステムを客先でテストすることになりました。
お客さんの工場にしかない上位機器と通信できるかどうか検証するのです。

出張で客先に出向くのは、私には初めてのこと。

社内では、あくまでプログラム単体で動くことしか確認していませんでした。
上位機器と通信できるかどうかはぶっつけ本番です。
お客さんとの間でそれでもかまわないとの合意がなされていたはずでした。

しかし、関西にある工場に赴くと様子が違いました。

「なんでこんな基本的な通信ができてないんや!おたくでテストしてへんのか?」
と向こうの担当者が激怒していました。

「弊社では、そこまでの検証はしていないのですが・・・」
「いやそんなことは俺は知らん。とにかくすぐに直してもらうからな」

もともとテストでバグが出た場合にプログラムを修正するために来ているので、
直すのは良いのですが、現場の人達との認識が違うことに違和感を覚えました。

社内の上司に電話をかけると、
「まあ、そういうこともあるから頑張ってくれ」とのこと。

そして現地でプログラムを直し始めたのですが、バグが多すぎることに気づきました。

ひとつ修正してもまた次のバグが出るといったありさまで、
とうていテストが進められる状況ではありません。

これはダメだとパニックになり、社内にも協力を要請しました。

しばらく経っても社内からの連絡がないので、電話すると、
「いや、○○さんが直してるはずなんだけど、今休憩にいってるわ」
「□□さん研修にいっちゃった・・・」
という回答が返ってきました。

正直「ふざけるな!」と叫びたい気持ちです。

びくびくしながら、お客さんにまだできてませんというと、
「なにをしとんねん!はよせんか」
と怒られました。

そのほか、うちの会社とは関係ないことに関しても
ぶつぶつと愚痴のようなことを言われました。
(これも大人しいタイプの当事者には良くあることですが、
なめられて、こいつには何を言ってもいいかと思われたのかなと感じました。)

また、現場には他にもいろいろな業者が来ており、
システムの仕様についても尋ねられることがありました。

ただでさえ急かされてバグを直そうと必死になっているのに、
さらに質問をされると頭の中がカオスになってフリーズしてしまいます。

発達障害の特性として、ワーキングメモリー(作業記憶)が低く、マルチタスクが苦手というのがあります。
(ワーキングメモリーとは、短時間に受け取った情報を保持し、同時に処理する能力のことです。)

また、知っていることでも瞬時に言葉で説明することが苦手な面もあるので、
把握していない難しいことまで聞かれたりするとパニックになってしまい、
自信のないことを勢いで答えてしまったりして、あとで問題になったりもしました。

結局その日は、バグの修正もあまり進まず、
「もう今日はええわ。でも全部直るまでは、毎日来てもらわなあかんで」
といわれ、とぼとぼと宿泊先のホテルへと帰ったのでした。

宿泊先のホテルでは、

  • こんな状況でもコミュニケーションが得意な人ならもっとうまく対応するんだろうな
  • 将来自分の立場が上がれば、このような目に遭うことがもっと増えていくんだろうな

といったことを考えていました。

そして、現地でそんな状態が2週間くらい続いた日、
朝から憂鬱な気分で、頭も痛いという症状が出始めました。
通うときに反対方向の電車に乗ってしまったこともあります。

こういうのが適応障害なんだと思いました。
発達障害の2次障害とはこのことか、とぼんやり思っていました。

バグの修正も、まだまだかかりそうです。

私はとうとう音を上げて上司に相談しました。
「仕方ないな。じゃあ、別の人と交代するか」

私は自社に帰してもらい、代わりに先輩が行くことになりました。

会社が会社なら「根性なし!」といわれていたことでしょう。

発達障害の自分がたどりついた境地

この体験から以下の結論に至りました。

  • 私は、組織の中にいると集団の負の部分を押し付けられやすく、
    他人の感情のはけ口や責任のスケープゴートになりやすいこと。
  • そうならないように、集団に適応しようとしてコミュニケーションに気を遣うと、
    それだけでエネルギーを使い、仕事のパフォーマンスが半減すること。
  • もともとマルチタスクが苦手なので、複数のことを同時に処理するときにミスを生じやすいこと。

私は将来に関して不安を持ち始めたのでした。

もしかしたら、次のように言って下さる人もいるかもしれません。
「大丈夫。経験を踏めば慣れていくよ」
「ひとつひとつこなしていけばいいんだよ」

しかし、そう考えることに大きなワナが潜んでいると思っています。

発達障害の人がメンタルを病むのは、
なにもパワハラやいじめだけが原因ではありません。

傍目からは集団に適応できており、仕事もできると思われている発達障害者でも、
いつか限界が来てうつ病になってしまうことがあります。

なぜでしょうか。

それは、内面では人の2倍以上のエネルギーを使っているからです。

むしろ軽度の発達障害の人ほど、自分は平気だと思って組織に適応しようと頑張り続け、
メンタルを病んでしまうこともあります。

さらに年齢が上がり、人をまとめる立場になれば、
今よりもさらに精神的に疲れることが多くなるのは目に見えています。

いわば、限界出力が他の7割くらいしかないエンジンを、
常にオーバーブーストで回転させ続けているような状態。

周囲が出力制限以内で回し続けているのに対し、自分はいつも限界以上。

いつか壊れないわけがありません。

今までは、「発達障害」を少しでも前向きにとらえ、カバーできるよう努力してきました。

しかし、「これまでしてきた努力」をほとんど誰にも認知されておらず、
しかも、今でさえ精一杯以上頑張っているのに、それ以上の努力をし続けなければならないことに気付いたのです。

この先に待っているものは、自分が壊れるか、壊れないで済むかの二者択一。

このままだと将来、メンタルの病気になるのではないか。
私はそう考え始めていたのです。

今回の「挫折」を機に、私はまた
「発達障害の自分がどうすれば成功し、幸せに生きていけるのか」
を再考することになったのでした。

そして、私は自分自身の「ある点」に思い当たり、はっとしました。

実は、今回の出張の中で、あることも感じていました。

工場の担当者が別の工場へ行っており、いない日がありました。
他のお客さんの関連会社の方も数人しかおらず、その日はとても静かでした。

その日はいつもと違い、バグを直すのがはかどったのです。

それだけでなく、自分からお客さんの関連会社の方のところへ
テストの進め方についての相談や交渉をしにいったのです。

その日の帰りに電話で担当者に報告すると、
「今日はテスト、結構進んだみたいやな」
といってくれました。

その日の振る舞いには自分でも驚いていました。

そして、この感覚って昔どこかで感じたことがなかったっけ?と思いました。

そうだ、浪人時代のあの「静かな自信をもって集中している」という感覚だ!

この感覚ってどんな時になるのだろうか。

「一人で静かにできる仕事で、かつ主導権も自分ですべて握っている」ようなときじゃないか。

じゃあ、常にそうすることが可能な仕事なら、
発達障害の自分でも、自信と充実感をもって人生を歩めるのではないか。

そんな仕事はないのだろうか・・・?

そう考えていた私が、「アフィリエイト」に出会ったのは必然だったのかもしれません。

アフィリエイトとの出会い

「アフィリエイト」に出会ったきっかけは、書店でした。

情報処理技術者の資格取得のための参考書を探して「コンピューター」の棚にいました。

しかし、私の潜在意識は「お前がやるべきは資格取得なんかじゃないぞ」と気づいていたのでしょう。

代わりに「ブログで稼ぐ」というタイトルの本に目が留まりました。

ブログで稼ぐ?

ブログには興味があり、大学生時代に日記のようなブログを書いていた時期もありました。
しかし、稼ぎにつながるとは考えたこともありませんでした。

ページをめくっていくと、「アフィリエイト 」という単語が出てきました。

「アフィリエイト」とは自分のブログで商品を紹介して、
そこから買ってもらうことで報酬を得られるというビジネスとのこと。

そして世の中には、アフィリエイトで月に100万円も稼いでいる人がいるというのです。

仕事柄、パソコンに抵抗がなく文章を書くのが好きな私にはピッタリではないかと思いました。

そして、アフィリエイトに関する書籍を購入し、早速ブログをつくってみました。

しかし、最初から継続して取り組めたわけではありません。

作業自体は楽しかったのですが、いまいち稼げるまでの道筋が見えず、手が止まってしまいました。

私は、納得してからでないと行動できないタイプなので、
先の見通しが見えないことにはなかなか取り掛かれなかったのです。

そして、ネット上で販売されている情報商材と呼ばれる教材をいくつか購入しました。
いろいろな教材を買う中で、段々とアフィリエイトの本質が分かってきました。

アフィリエイトに本気になり始めてからは、少しずつ成果も出るようになりました。

「静かな自信をもって集中している」というあの懐かしい感覚を取り戻したのです。

今後さらに成果を伸ばして組織から独立し、精神的自由を手に入れることが私の目標です。

発達障害の方へ伝えたいこと

このページを読んでくれている方の中には、
発達障害を自覚している方もおられるでしょう。

そして、あなたは以下のどれかにあてはまるかもしれません。

  • 会社で人間関係につまづき、あるいは自分に合った仕事が見つからず、転職を繰り返している。
  • 会社に表面上は適応できているが、人並みに仕事をこなすだけでも、
    普通の人の2倍以上のエネルギーを使っている。
  • 障害者として扱われ、簡単な作業ばかり任され、
    収入の低い立場に甘んじることを余儀なくされている。

人と同じようにできないのは「自分の努力が足りないからだ」と思い込み、
組織に適応する方向に力を注いだ結果、メンタルを病み、
たとえ優秀な大学を出ている人でも、障害者として生きることを余儀なくされている現状があります。

しかし、私が声を大にして伝えたいのは、

そもそも組織に適応しなくてはいけないという発想自体が間違っている!

ということです。

稼ぐ手段はいくらでもあることに気づきましょう!

そこで知ってほしいのがネットビジネスであり、その中でもお勧めなのがアフィリエイトです。

アフィリエイトは特別な才能は不要であり、誰でも正しいやり方で継続すれば成果が出ます。
稼げる額も自分の努力に応じて無限大です。

しかも、アフィリエイトは以下の特性を持つ発達障害の人にかなり向いていると思っています。

  • 話すのが苦手でも文章を書くのは得意
  • 人が普段口に出せない、繊細な感情を言語化するのが得意
  • 一つの分野の知識を極めるのが得意
  • 自分一人が主導権を握れることには能動的になれる
  • いろいろなアイディアが思い浮かぶ
  • 一人でコツコツと集中して取り組める

これをやらないのはもったいないな、というのが正直なところです。

繰り返しになりますが、組織に所属することしか選択肢を知らず、
転職を繰り返したり、メンタルを病んでいる方を見ていると心が痛みます。

あなたにはそうなってほしくはありません!

自分の力で稼ぐことができれば、もう組織の負の部分を押し付けられ、
精神的に消耗する人生から解放されます。

このブログでは、あなたよりも先にアフィリエイトを学んできた私が、
アフィリエイトの具体的なやり方や考え方を発信し、
あなたが精神的自由を手に入れるためのお手伝いをしていきます。

初心者がつまづきやすく、悩みやすいポイントはもちろん、
納得しないと行動できない慎重なタイプや、完璧主義タイプの人の
気持ちも良く分かるので、そのあたりのサポートもしていけたらなあと思っています。

さて私は現在、マーケティングや心理学、
コピーライティングなどビジネス全般の知識も学んでおり、
毎日新しい発見があります。

ビジネスを行うというのは仕掛ける側に回るということです。
私は仕掛ける側の視点を学ぶにつれて、今までのサラリーマンとしての価値感が見事にくずれ落ちるという体験をしています!

単にお金を稼ぐだけでなく、人生の主導権をしっかりと握ることで、
本当の意味での自立や精神的な自由が手に入るのだと強く感じています。

さて、自分もアフィリエイトを始めたい!と思う方のために、アフィリエイト講座を用意しました。

ぜひこの講座でスタートを切ってみてくださいね。

⇒アフィリエイト初心者講座【基礎編】

そして、こんなに長い文章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました^^